人生ケセラセラでいこう!

脱サラした夫と知的障害・自閉症スペクトラムの息子、2匹の猫との生活

74回目の終戦記念日に思うこと

稲刈り

 

おはようございます。もふもふです。

 

終戦から今日で74年。

戦争を経験した私の祖父母たちは、みんな亡くなってしまいましたが、今日は、戦地に行った祖父のことを書こうと思います。

 

祖父との思い出 

鹿児島に住んでいた祖父は、無口であまり多くを語る人ではありませんでした。

そうはいっても、笑い声は隣の家まで届くくらい大きかったですが・・・(^_^;)

イノシシ狩りとハーモニカの演奏が得意な祖父でした。

 

農業を営んでおり、牛や鶏も飼っていました。

田植えや稲刈りの時期には、家族みんなで手伝いに行っていました。

田んぼで食べるおにぎり(ただの塩おにぎりです)が、すごく美味しかったのを覚えています。

夏休みに遊びにいくと、畑で取れたスイカを準備してくれていてまず、スイカ割りから始まります(*^。^*)

その後にみんなで食べるスイカは格別の美味しさがありました。

 

祖父の体の傷跡と思うこと

そんなふうに私たちを楽しませてくれた祖父は、戦地へ行って戦争を経験してきた一人です。

ある暑い日、上半身裸でくつろいでいる祖父がいました。

がっちりした体には、いくつもの引きつったような傷がたくさんあります。

子供ながらに、あまり触れてはいけないことだと思い、自らその傷について聞いたことはありませんでした。

 

いつものように裸で涼んでいる祖父が、

「こいは何の跡と思うか?」 ※こい=これ

と体の傷を指して聞いてきました。

戦争に行ったというのは母から聞いていたので、その時にできた傷だというのはなんとなくわかってはいましたが、詳しいことはわかりません。

「こいは、相手が撃ってきた鉄砲の弾が当たった跡じゃっど」

私はそれを聞いて、何も言えなくなりました。

1箇所だけではなく、何箇所もある結構大きな弾の跡・・・。

胸にも背中にも無数にある弾の跡・・・。

 

他にも何かを話してくれたのだと思いますが、まだ当時小学校低学年だった私は

「鉄砲の弾が当たった跡」という言葉が衝撃的すぎてあまり覚えていません。。。

ただ、祖父の目の前でたくさん亡くなった人がいたということ・・・。

それだけはうっすらと覚えています。

 

その時、初めて戦争というものを身近に感じました。

本当にあった出来事なんだと・・・。

 

鹿児島の知覧には特攻平和会館があります。

特攻で戦死した若者は、どんな思いで出撃していったのか・・・。

特攻前日、母親に書いた遺書。

どんな気持ちで書いたのか・・・。

もう二度とこんなことを繰り返してはいけない・・・と思わせてくれる場所です。

 

さいごに 

祖父は、今から6年前の8月に94歳で亡くなりました。

亡くなる前は、ほぼ寝たきりになっていましたが、時々体を起こしては得意のハーモニカを吹いていたといいます。

どんな曲でも、上手くアレンジしていたよなぁ・・・。

 

そんな祖父に思いを馳せて、祖父がハーモニカでよく吹いていた

「赤とんぼ」をそっと口ずさんでみました。。。

 私の声、届いたかな・・・。